名古屋西高校、約100年の歴史と伝統のご紹介です。
本校は大正4年(1915年)4月に愛知県立第二高等女学校として設立されました。
戦前は各県二高女と女子師範が共存しており、本校でも愛知県女子師範学校と併設されていました。
愛知県立第二高等女学校 前景
当時、校庭には老松、栴檀、桜の大木などがふんだんに植えられ、緑豊かな環境がつくられていました。春になると桜が満開となり、その美しさは県下随一だったと語られています。
また風格のある校舎が幾棟も建ち並び、理想的な教育の場が形作られていました。
しかし昭和20年(1945年)5月14日、大空襲により校舎は焼失してしまいました。
今では失われてしまった風景がそこにはありました。
正門の風景
弓道場の練習風景
薙刀の練習風景
授業風景
21回生の修学旅行(ラプラタ丸にて)
講堂での音楽の授業
第一回卒業生
当時の県二といえば、お嬢さんが多く、お上品で温厚な生徒が多かったようです。
~ 過去から現在、そして未来へ ~
太平洋戦争後の教育改革により、愛知県立第二女学校は愛知県立名古屋西高等学校へと引き継がれました。
資金難など幾多の困難を乗り越え名古屋西高等学校は立ち上がりました。
昭和27年ころの校門
昭和28年ころの全景
変わりゆく昭和という時代の中で、様々な教育活動が行われてきました。
天文台(昭和29年完成)
昭和32年頃の体育祭
陸上部の練習風景(昭和48年頃)
英文タイプ部(昭和52年)
生徒会長選出 | 修学旅行 |
音楽の授業 | 授業の様子 |
どこか温厚で温かみのある校風は、県立第二女学校の面影を感じさせます。